それはありかも

東京での生活は、体感温度がその日の時間帯によって違うことをよく感じる気がする。

沖縄では、室内外や昼夜などで大別できそうな感じでも、東京ではもう少し細かい感覚で、季節の具合をはかりとれるような。

他愛もないけど、食やファッションもそういう感覚から生まれてくるような気がした。

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サインはそれね

最近、昼に何を食べるか、夜は何にするか、よく考えるようになっている。

一回当たりの食事の量も一般男性に比べてたぶんそう多くなく、肉が食べたい寿司が食べたいとか、何か特に食べたいものを追い求めているのでもない。

ただふと「今日は何にしようかな」と食事のメニューのことが頭に浮かんでくるようなものなんだけど、その日のその時間に食べる食事のメニューを、食べる時間直前までそれほど考えるなんてしなかったから、自分でそれがとても意外に思う。

これ、できれば体からの何かのサインであって欲しくないな。

たぶん、食べることで何かのストレス解消になっているのかもしれないから、いつもと違って「食べること」に神経が寄って行っているのかもしれない。食べる楽しみは人並みに持っているし、腹八分でも十分満足するおいしい食事に出会うのも楽しい。

おお?するとそれはやっぱり体からのサインか?

俺は少し疲れているから「何を食べるか選ぶのは大事」という類いの合図なのか?

もし、もしそうだったら、やっぱり食べるものをちゃんと選んであげなければならないな。体の調子を維持するのは精神的な負担の解消も大事だと聞いたことがあるな。

何を食べるか、考えることにも意味があるのなら、これからもっと食事の時間が楽しくなりそうな気がしてきた。

そうだね。

食べる時ぐらいはゆったりしよう。

 

趣味にもならないけど

過日、十何年ぶりかでショートコースをラウンドした。ゴルフだ。

打ちっぱなしにも通ったことがないゴルフ下手なのに、月イチのペースで食事会を持っている気の置けない仲間から誘われたものだから「まぁいいか」と気楽に受けた。

誘った仲間の一人が「デニーって、ゴルフクラブ持っているの?」と訊いていたというから、友人の記憶からも「あいつがゴルフするのは見たことがない」という認識だったのだろうね。さもありなん。

肌寒く、時折小雨がパラつく天気。ゴルフの楽しみは、こんな天候でも風を読みながらいかに自分がうまくプレイできるか、いいスコアで回れるか、に尽きると思うけれど、さすがにど素人の自分は、メンバーの上手いプレーをみてその腕前に感心しながら一緒に回るのも、それはそれで案外楽しいぞと感じた。

うまい人のプレーはボールの行方を見るのも落ちる場所を当てるのも一緒になって楽しめる。

何といってもせっかくのお誘いだから、なにをやっても貴重な時間を楽しむことに尽きる。惜しいことには天気がよければなぁ、というぐらいで。

しかしまぁ、とてもゴルフを趣味にとはいかないだろうな。

年中暇なしだから打ちっぱなしにすら通えないようなことは自分がよく知ってるし。

スコアを気にしない仲間からのお誘いゴルフを気長に待つ、でちょうどいいな。

 

デマを止めるもの

人の話には、その本人自身の言葉でない場合はだいたい尾ひれがついているものだ。

いつだったか、友人がそのようなことを言っていたのは、お互いに共通の友人が起こした騒ぎの中身が、周りが騒いでいた内容よりも実は他愛もないことだったことを、自戒(?)をこめてこぼしたことを、ふと思い出したからである。

過剰な思い込みが誤解に発展し、あらぬことが事実に混ぜ込まれて広がっていく。

もしも、それに誰かが意図した内容を混ぜ込んでもほかの誰にもわからないまま、そのまぜこまれた嘘のストーリー=デマゴーグが拡散されていく。

ちょっと考えれば「それはどうなのかな」という疑問が容易に感じられたりするような場合でも、デマは人々の興味の波に乗って、どこまでもどこまでも広がってゆく。

例えばどこかでそのデマに匹敵するようなことが起こりそうな場合、ふたつの出来事は、地理的にも時間的にも全く関係性がないにもかかわらず、デマとして信じ込まされてしまうこともある。

2001年同時多発テロがアメリカで起こり、在沖米軍基地に出入りするゲートでのチェックがテロ対策のため相当厳しくなって渋滞まで起こしていたとき、「沖縄の米軍基地でテロがあるらしい」という誰かの憶測が、まるで台風が襲来するときのような「テロ予報」が発表されたかのようにまたたくまに広がり、その風評が修学旅行のキャンセル等を含めて、さまざまな分野に多大な影響を与えたことはまだ記憶に新しい。

確たる証拠もないのに、さも「そうらしい」というだけで信じ込まされる。

それが事実なのか、虚構なのか。誰にも正確な判断を求められないのであれば、まずは自分の地頭で冷静に考えてみるのが大事だ。「なんとなくそう思う」というだけでは、世間一般の興味の誘惑と同じ波に乗る心地よさの浅はかさには、なかなか気づかされない。

だからこそ、一歩止まって「まてよ」「ほんとかな」「他の波はないのかな」と考えを巡らせてみればいいと思う。

自分が乗っかっているこの波が、実は誰かが作った「人工の波じゃないかな」「ささいな波を大げさにあおっているんじゃないかな」とちょっと用心してみるだけで、その波に乗る興味から少し降りてみることも必要じゃないかと、どこかで感じていることに気づくだろう。

客観的な普通の思考力さえあれば、デマはたぶんその時点で止められる。

デマの波から自分で降りれば、デマの波の正体もはっきり見えるだろうから。

そしてもうデマの波の誘惑に乗らない自分になるし、「騙されない」という自分への自信になる。

デマを止めるのはやっぱり自分自身の良識=「心の声、地の頭」にかかっている。

スイッチ欲しい

仕事でも趣味でも物事に集中して取り組んでいると時々、目頭の間あたりがグァーッと痛くなることがある。

眼鏡をはずしてみても痛くなるのに変化はないから眼鏡が合わないわけではなさそうだが、肩がこるとか背中が張るとかならまだしも、目頭あたりに痛みがくるとまったく作業ができなくなる。

痛くて目が開けられないから何もできなくなるのも当然。でもその痛みで作業が止まってしまうと正直少し焦る。仕事なら特に締め切りの時間に追われるのはやっぱり避けたい。

しかし痛みが襲ってくるからしばらくは放置状態になる。そうすると締め切りの時間が気になる。気になってくると焦る。それでまた取り掛かるとすぐグァーッでまた止まる。ほんとに面倒な症状だ。

これは、何をするにももうすこし気持ちや時間にゆとりを持て、ということなのか。

気持ちのゆとりは時間のゆとり、とも考えられるが、自分にとって「ある時にあるのが時間、ない時に足りないのが時間」、みたいな感覚だ。仕事では特に。

そうなると今でも仕事前の資料の準備や読み込みでもかなりの時間が必要なのに、そこへゆとりをもって取り組むとなると、全体の時間の調整がうまくいくのか不安でもある。その時に限って前後の予定が詰まっていたりするから余計に。

結論。仕事モードを気楽に切り替えられるon、off、のスイッチが欲しい。

秋葉かジャパネットで売ってないかいな。