晴れてもくもり

正月三が日の沖縄は日本晴れのいい天気で、初もうでに出かけた方は好天にあやかって「今年もいいことがたくさんありますように」と神様へ願掛けをしたことでしょう。

しかし、正月の松の内が明けない6日から日にちを待たず、相次いで米軍のヘリが民間地域へ不時着するニュースが飛び交った。

いずれも大きな事故にはつながらなかったものの、緊急事態のマニュアルでは、計器に異常を示す警告ランプなどが点灯した場合には速やかに着陸することとなっているらしいので、着陸する場所を選択するのにほとんど判断の時間はないと思われる。

そうなると、訓練地域が密接している沖縄全体がまさに緊急着陸「できる」場所として運用されているという実態が浮かび上がる。

近隣には住民がいる。狭い沖縄で、ひとけがなく、緊急判断でも安全着陸できる平地がどれくらいあるかという現実問題と照らしても、ヘリの緊急着陸一つとっても県民には「もしも」という命の不安がどうしてもつきまとってしまうのである。

本当の空は晴れていても、

県民の気持ちはどんよりした曇りだ。

基地への不安がある限り、解決する責任が放置される限り、それはまた続いていく。

聖夜2017

毎年のクリスマスの時期に思うこと。

宗教や振興に関係なく、誰もが幸せに感じられる時間を、

できればひとりではなく誰かと一緒に過ごしたりすることを

大事にしてほしい、というとても自然なこと。

けれどその自然なことが叶えられない、あるいは叶えられにくい状況に

いる方たちのことも含めて、誰かをおもいやれるような気持ちも

自分自身に問いかけてみてほしい、と思う。

幸せな人が幸せになれるのではなく、誰でも幸せになれることが

できる世界になってほしい。

願いや希望は決して失われたりしない世界になってほしい。

そんなことを、やっぱり今年のクリスマスにも考えてみたりしている。

会期末におもう

11月1日から開かれた特別国会も12月9日(実質的には8日)で閉会する。

平成十二年から導入された党首討論「クエスチョンタイム」も導入後初めて開催されない年となる。10人以上の議員が所属する野党の党首が総理へ質問し、総理からもまた野党党首へ質問できるという相互問答形式。しかしこれだけ野党の数が増えたら、45分の時間はあっという間に消化終了してしまい、国民にとって最も肝心な「論点の深まり」は思うほどには期待できないかもしれない。

しかしそれでも、国会改革のために導入したこと。始めたことは一貫して行うべきではないだろうか。

議論はいつも行きつ戻りつ。もどかしさを感じた会期だった気がする。

今国会では、「国会改革のために従来の慣例によらず与党にも充分な委員会での質問時間を与えよ」と要求が上がり、現場の各委員会でもそのためもめている様相もまた見受けられた。

それには意見もいろいろあろうが、与党が十分な質問時間を要求するのであれば、野党にもまた十分な時間を配分する、それでいいのだと思う。野党の数だけ時間が増えるのであれば、当然、国民の代理としての声が十分に国政に反映されるべきである。

会期・外交日程・事前の与党側の法案審査など、通常国会と臨時会を分けている今の方式ではなかなか厳しいというのであれば、通年国会にして、いつでも国会が開かれているように「改革」することも議論していい。

いままでにも議論した経緯があるようだけど、参議院のように衆議院も質問時間はそれぞれの持ち時間制にして、答弁で時間をとられても質問する時間を確保するのもありじゃないかな。通年開会にすればそれもまたできないことはないと思うけど。

やることに躊躇するよりも、やって改善していくほうがわかりやすい、ともいう。

やってほしいこと、やらなければならないこと。常に目の前に横たわっている。

楽しくいる

「楽しそうですね」とよく言われる。

考えたことはないが、楽しくいるのは自然にそうだからじゃないかな。

だって、「楽しくしているふり」は、いつか必ずしんどくなって止まる。

「ふりをする」ことはどこかが透けて見えるからバレるのも早い。

楽しそうに見えるのは、本当に楽しいからだ、というのが当たっていると思う。

元気で生きているありがたさも、困難を克服したい希望も、「自分のはカラ元気だ」とか「難しいからやるのはしんどいな」などと逆方向から考えてしまったら、もう何もかも楽しくなくなってしまう。きっと「心の闇」に落ちてしまうに違いない。

だから、自然のままに素直に楽しくいられるほうが絶対いい。

要は、虚勢を張らず、見栄を出さず、妬まず、羨まず、卑屈にならず。

やりたいことに体も動くし心もついてくる。

楽しくいるには充分だ。

暴力はいけない

どんな理由があるにせよ暴力は絶対いけない。

力の差を誇示することが絶対的優位にあるというのは間違いだ。

品格が求められる立場にある者はその品格をもって対処するべきである。

品格を保持する努力の姿勢こそがもっとも評価されることも疑う余地がない。

暴力が存在することを秘匿したりすることはもってのほか。

暴力がないことが前提ではなく、ないことが当然の組織や社会であるべきだ。

そういう筋を正すことや摂理を求めることもまた当然やめてはいけない。

あってはいけないことをなくす努力のなかで強い信頼はうまれていく。

信頼があればそこから暴力はなくなる。こころの闇は消えてゆく。

 

からだは正直で

滅多に風邪をひかないし、ひいたとして大抵は2~3日くらいですっかり元の調子に戻るものと、自分ではいつもそう思っていた。なのであまり節制することもなく、食欲も麦酒愛飲もほどほどにあるので大丈夫だ、と思うのが常だった。

が、これはもしかすると無理の利かない年齢になろうとしている覚悟がそろそろ必要なんだということなのだろうか。

このところ風邪「気味」状態がやけに長く続いている。

体の筋肉や節々が痛くなると「引きはじめ」の症状で、それから次にだいたい8度越えくらいの高い熱を出して、病院で受診して薬をもらい、食事をしてそれをしっかり飲みつつ寝ていてしっかり汗をかいて。

いつもはそうやって回復に向かうのに、今回は少し勝手が違う。寒気と熱の峠が過ぎたらケロッといかないで次はなんと咳が出始めている。

だんだん寒くなってきてるし空気も乾くし喉までやられてるのかなぁ。

沖縄と東京と往復することで体も体温調節に無理してるのかもしれないから、咳もやっぱり体からの「無理できまへんで、だんな」という合図なのかもしれないなぁ。

麦酒を芋のお湯割りに変えると効き目あるかなぁ。試してみないとなぁ。ゲホゲホ