徒然ブログ

ありがとうを使うこと

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最近、自分から気にして続けていること。「ありがとう」とお礼をいうこと。 コンビニで買い物しても、食堂や居酒屋で料理飲み物が出てきた時も、心地よいやり取りができたことへのほんの感謝の気持ちで「ありがとう」と言葉にしている。 いつだったか日本食を囲む会合で、いろいろな小鉢や皿の料理が、箸の進み具合の合間よく出されてきた際も「ありがとうございます」と応えていたら、そのうちに料理の名称や素材などの紹介を小声で添えてくれていたことがあった。 それも「ありがとう」効果だったのかは知らないがそういう嬉しいこともあった。 言葉は生きている。 自身の口から出る言葉は、それぞれプラスはプラスに、マイナスはマイナスになって作用するという。プラスの言葉は積極的に使って周りも楽しくさせながら、信頼できるいい人間関係を維持していきたいと思うのは、おそらくみんな共通しているはず。 当然「ありがとう」も、いきいきと使ってこそ相手の心に心地よく伝わっていくのだと思う。 「ありがとう」は感謝の思いがことばになったもの。言われて悪い気はしないはず。 いつでもどこでも、互いに「ありがとう」の気持ちでいられたら幸せも積みあがる。 こんな拙い文章ですが今回も読んでくださって本当に「ありがとう」ございます。

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夜にこだまする声

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今の時間は4月6日の19:23。明日の外務・環境委員会の質問骨子を作成中。 このあと省庁部局へ質問項目を通告して、彼らが会館の事務居室来るのを迎え撃つ。あ、いや「迎え入れる」か(笑) 夜のとばりが下りた窓の外からは、太鼓(肩ひもでつるすようなドラム)のリズミカルな音が連続して鳴らされながら「共謀罪法・廃案!廃案!」というこれもまたリズミックなコールがあわせて、議員会館の空間を縫うようにこだましている。 ほぼ連日、市民有志の方々が国会裏の議員会館前の路上から、特に政府寄りの与党の議員に対して、国民からの(ほとんど怒りの)叫びをあげているようだ。 反対の理由を静かに語り掛けたり、リズムに乗せて強い叫びをあげたり。 「声なき民の国は滅びる」ことが現実とならないよう、今夜もまた警鐘を鳴らす。 人々がそうやって声をあげるのは、政治が国民の望むような正しい方向へ進んでいかないという不安と不信からであり、黙って座視していたら同じ穴の狢になってしまうのだ、それはゴメンだ、という信念から導かれる行動なのだと思う。 その行動にかられさせてしまうすべては政治の責任だ。 政治の側にいるものの責任に尽きるのだ。 (この間、質問レクで長く中座) 自分も信念に従って行動する。行動するしかない。 最後のこの行を打ち込んでいる今の時間は20:50 この時間でも外から聞こえてくる心の叫び声に、真しにそう答えたい。

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準備が大事・そのに

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専門的な内容を少し。 4月5日水曜日。 今日は委員会開会定例日で、玉城は外務委員会での質疑がある。 各常任委員会には、開会する定例日(主に曜日)があり、委員会に付託された法案の審議に入る際に特段の事情(国会が不正常~なにかもめ事が発生している)がなければ、普段通りの定例日(外務委員会なら水曜と金曜)で開会するのが通例である。 なので、党の事情もしくは本人の希望などで委員会を掛け持ちする場合、法案の提出が割合に少ない委員会と、法改正が頻繁に行われる委員会をバランスよく受け持たないと「質問レク」と「質疑」の連続登板になってしまい、法案内容の精査や資料の準備・読み込みがかなりのハードスケジュールになってしまう。 玉城は外務委員会(水曜・金曜が開会日)と環境委員会(火曜と金曜が開会日)を担当している。 金曜は開会が重複する日なので、その場合には他の委員と調整して、質問に立つ時間帯が被らないように考慮していただいている。 それでも、事前に法案の内容を精査して、資料を準備して目を通し、質問内容の通告をしたのちに省庁担当部門と事前レクを行い、本番の質疑に立つ、この流れは変わらない。入念に準備して、委員会の登板に臨む、というわけです。 「われらに不断の準備あり。手足に、心に、ああ準備」 ボーイスカウトの歌の中にこのようなフレーズがあったと覚えているが、準備することは本当に大切。 委員会本番での質疑の「花」よりも、事前にどれだけ準備できるかの「根張り」こそが自分の栄養となり、その貯えが力にもなる、と信じて今日もまた委員会へ。 それにしても、一昨日の夜からおなかを下している状態が今朝もまだ続く。 体調管理が気力を支える議員稼業。 カップみそ汁をゆっくり飲み干し、資料にまた目を通してさあ本番の準備だ。

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遅くてもしっかり

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どうしても時間がかかること。 委員会質問のための、前準備から質問通告を終えるまでの作業。 キチンと仕事したいので、資料にしっかり目を通し、内容を把握したうえで、他の委員と内容があまりかぶらないように、質問内容を吟味し骨子を作成する。 そしてそれぞれの役所へ質問通告してレクを受ける。 「レクを受ける」とは、いえば質問内容の確認と意思の疎通のこと。 「レク」の際に役所との認識のずれが少しでもあれば「何が訊きたいことなのか」を玉城から細部まで説明する。 そこを丁寧にやっておくと、大臣や政府参考人からの答弁にもふくらみが出てくる。簡潔に聞くだけの場合でもしっかり追及する場合でも、こちらの意図をできる限り細かく理解していただきたい、という理由からだ。 質問の持ち時間がたとえ10分だろうと1時間だろうと、この「時間をかけた質問づくり」のスタイルでやっている。 だからどうしても役所の皆さんを呼ぶ前に、最低半日は資料の読み込みに時間がかかってしまう。読みこんでから質問作るから、直しては書き、書いてはまた手直し。 すっかりバリ肩。さあ役所のみなさんが来るまであと少しだぞ。がんばんべ。

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爺のひとりごと

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去年7月に初孫が生まれて、「孫はなによりもいい」というような、お孫さんがいる方の気持ちが次第に分かるようになってきたこの頃。 ある友人はスカイプでアメリカに住む孫との会話を、ほぼ毎日の日課としているという。「それしか楽しみがないし時間だけはたっぷりあるしね」と笑っていた。 自分と同い年ですでに10人の孫がいる友人は「いっぱいいるから大変」と話していたが、顔の表情からは「大変だけどやっぱりかわいい」としか見えなかった。(笑) どんな話をしても、結局はどっちも孫自慢。 そして、それができることはつくづく幸せだと深く思う。 望んでも願っても、なかなか叶えられない方もいることを考えるとやはり。 誰のもとにも幸せな生命の誕生と、穏やかに健やかに育まれる環境があることを ただただ願うばかりである。 その喜びに勝るものはないだろうと、爺はしみじみと思う。

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いい笑い

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癖のある人はモノマネのネタになりやすいという。 声、表情、仕草など、一見して「その人らしさ」が伝わる形態模写や声帯模写は、芸能としても、その一角を築いてきた。 それは、見ている側の観客も、演じる側の芸人も、お互いに「見て楽しもう」「笑っていただこう」というお互いの理解が前提になるからだろうと思う。 であるからこそ、歌手・芸人から動物まであらゆる個性豊かな存在が、本物からより誇張(デフォルメ)されて演じる側に表現されることで、お互いに求める「笑える」関係になる、ということだ。 さらに言えば「知っている」からこそ笑いにもなる。知らない人や動物を真似されても、知らないものには笑いは起こらない。それも共通する理解あってということ。 「笑う」という気分を「質のいい状態」で丁寧に作ってほしいと思う。 「笑うこと」が、暗に差別や偏見に見られてしまわれないようないいものを。 お互いが「これはいい笑い」だと自然に共感できるものを心から楽しみたい。