どれだけ好きなの

仕事の日はやっぱりお昼に何を食べようかと考えるのが楽しみです。

休日はお腹のすき具合で食事の時間をずらしたりするけれど、皆さんも働いている平日は、お昼の時間も社会活動に合わせている玉城です。

昨日のお昼はカレーでした。一昨日も実は違うお店のカレーでした。

高校の同級生に、中学の時のバレーボール全国大会派遣の際に移動手段として使った船中と宿泊先の食事がなんと毎食カレーだったことがトラウマになって、カレーが嫌いになってしまったヤツがいます。

さすがに僕も今日のお昼はカレーははずします。

実は今朝、軽く朝ごはんにとコンビニで買ったのがカレーまんでした。

じんとくるところ

ここは政治的観点を離れて感想を言ってみたい。

オリンピックの話題が連日取り上げられ、同じ映像や同じコメントが一日に何度も、メダル獲得などの場合によっては数日間に渡りテレビから報道されている。

選手の活躍はうれしい。メダル獲得も言わずもがな。

けれど、そこまでを支えてきたこれまでの選手や周囲の背景にあった経緯などの取材風景が織り込まれると、活躍の喜びが、一段深く胸にじんとくる。

入念な情報収集と念入りな取材によって作られているであろう、サブの話題の数々。

残念ながらお蔵入りする映像や資料もそれこそヤマとあるに違いない。使えないとなればバッサリと切り捨てていくのも、業界のツネらしいと聞いたことがある。

しかし、見る側とすれば、そういう選手や関係者の過去や経緯から、今の生き方や個々の活躍につながるストーリーを垣間見せる内容に重ねるように、丹念に取材した側の幾多の努力も味わえることは素直にうれしいものだと思う。

取材側にも相応の評価のメダルがあればいいな、と思ったりするのである。

 

理=ことわりの重さ

「理に従う~ことわりにしたがう」

過日に「小沢一郎政治塾」で行われた小沢一郎塾長講話での言葉。

小沢一郎という政治家に関しては賛否両論様々なご意見があろうが、玉城は、自分が政治の理念信条を学ぶ師として小沢一郎という稀有な存在に心服している。その政治哲学について、小沢一郎本人の考えを直に伺える距離にいるという自分のいる立場には本当に感謝しかない。激動する政治の潮流に立ち向かうことの真剣みを目の当たりにできるのだから、自分を鍛えられる場所は他に考えられない、と思っている。

冒頭の「理に従う」発言も、今に始まったことではなく、常日頃から小沢一郎がことあるごとに口にしてきている言葉だ。理(ことわり)とは、ものごとの正しい筋道を指している。道理とか条理ともいい表せる、わかりやすい言葉ではある。

しかし、その言葉のように分かりやすい筋をきちっと通して政治が行われているのかについて、小沢一郎は現在の政治状況を心底から憂い、国民の力でそれを立て直すべきである、と力説する。

その場の雰囲気に流されない本質的な目的を持ち、国民が平和に安心して生活できる環境を、国民の立場から着実に作ってゆくこと。その理念と姿勢を明確にして政治の改革に取り組まなければ、真の国民主導の政治、国民が実感できる安定した政治を実現することは困難である、と説いている。

易きに流されず、耳当たりのいい言葉に惑わされない。決める責任と決めたことに従う責任を併せ持って、国と国民のために奮闘努力する。その姿こそが真の政治なのである。だからこそ「ことわりにしたがう~筋道を通す」意志が肝要なのである、と。

『「対立より協調を」という政治家の言葉はもっともらしく聞こえるが、「政府の方針に従えばそれでいい」という裏の意味も含まれている。だからこそ「自立~みずから考えて立つべき理念と、それに基づいた明確な行動」が重要だ。それらの「自立した意志」が集まってこそ、本物の政治改革が実現でき得る』と小沢一郎は説く。

理に従うこと。あらゆることに、あらゆる場面で。今一度、噛み締めておこう。

 

 

 

未来を想像すること

2月4日に行われた名護市長選挙は、いなみねすすむ候補に3,500票余りの大差でとぐちたけとよ候補が当選した。

期日前投票44,4%で選挙当日の投票者数を上回った。これは県内選挙の過去最高と異様に目を引く高さだが、とぐち候補に投票した若い世代の%テージがこれもまた目を引くほどに高かった。

10代が65,4%、20代は61,6%。

とぐち候補を支援した若者は選挙戦略の一つである会員制交流サイト(SNS)をフルに活用したといい、地元紙のインタビューで「とぐちさんの政策と若い世代がマッチした」と語っているように、いなみね候補もそれなりに奮闘したものの若い世代の感覚と流れは、上の数字が示す通りにとぐち候補が圧倒した結果となった。

選挙の結果を厳粛に受け止めることは鉄則。とぐち新市長にはご健闘を期待したい。

玉城も自分の子供たちにいつも言っていることだが、若い世代にお願いしたいのは、やがて結婚して、子供が生まれて、その子供たちが育っていく社会構成の中心にいる大人になってゆく自分自身と、生活と、社会との関係性をしっかり考えてほしいということ。

地域の経済が衰退しているのはどういう現象が原因なのか。

少子高齢化の将来は何が重要な問題になってくるのか。

そして、今でも事件・事故・被害が発生している耐用年数200年の海兵隊基地が故郷に作られた後に、やってくるのは描いている希望の未来なのか。笑顔なのか。

友人たちとしっかり語り合って、自分の回りで何がどうなっていくのか、自分はどうなっているのか。そしてそこから少しだけ大きい視点で広げてみて将来を想像する力を養ってほしい、と願いたい。

玉城にもすでに孫がいる。

年が経てば社会構造は自分がどうあろうとも次へと移ってゆく。

そして、老いていくのは誰もが必定のもの。

だから、今だけでなくもっと遠くまで視点を投げかけて未来を考えてほしいのだ。

責任世代は必ず次へと、あなた方へと交代していくのだから。

晴れてもくもり

正月三が日の沖縄は日本晴れのいい天気で、初もうでに出かけた方は好天にあやかって「今年もいいことがたくさんありますように」と神様へ願掛けをしたことでしょう。

しかし、正月の松の内が明けない6日から日にちを待たず、相次いで米軍のヘリが民間地域へ不時着するニュースが飛び交った。

いずれも大きな事故にはつながらなかったものの、緊急事態のマニュアルでは、計器に異常を示す警告ランプなどが点灯した場合には速やかに着陸することとなっているらしいので、着陸する場所を選択するのにほとんど判断の時間はないと思われる。

そうなると、訓練地域が密接している沖縄全体がまさに緊急着陸「できる」場所として運用されているという実態が浮かび上がる。

近隣には住民がいる。狭い沖縄で、ひとけがなく、緊急判断でも安全着陸できる平地がどれくらいあるかという現実問題と照らしても、ヘリの緊急着陸一つとっても県民には「もしも」という命の不安がどうしてもつきまとってしまうのである。

本当の空は晴れていても、

県民の気持ちはどんよりした曇りだ。

基地への不安がある限り、解決する責任が放置される限り、それはまた続いていく。

聖夜2017

毎年のクリスマスの時期に思うこと。

宗教や振興に関係なく、誰もが幸せに感じられる時間を、

できればひとりではなく誰かと一緒に過ごしたりすることを

大事にしてほしい、というとても自然なこと。

けれどその自然なことが叶えられない、あるいは叶えられにくい状況に

いる方たちのことも含めて、誰かをおもいやれるような気持ちも

自分自身に問いかけてみてほしい、と思う。

幸せな人が幸せになれるのではなく、誰でも幸せになれることが

できる世界になってほしい。

願いや希望は決して失われたりしない世界になってほしい。

そんなことを、やっぱり今年のクリスマスにも考えてみたりしている。