決意

突然の解散・総選挙。様々な情報が錯綜するメディア。

10月1日現在、希望の党に結集する方向性について、自由党の今衆議院選挙・公認予定候補がどのように行動すべきか、まだ党の正式決定に至っていない。なので各々の予定候補者がどのような準備を進めているのかは党幹事長を仰せつかっている玉城にも詳細は届いていない。

玉城は自由党からの公認予定候補としての立候補がなかった場合は、「希望の党」への結集に参加せず(もちろん公認申請もせず)、今選挙は無所属で臨む姿勢を29日に開催した「激励の集い」で皆様に表明した。

この決意はブレない。自身の公約と異なる政策を掲げる党の旗の下へは行かない。

しかし、これまでのように選挙戦における党公認候補の各種の利点がないのだから、必死になって必死になって活動するしかない。争点を明確にし、憲法棄損・国会軽視の安倍晋三政権を退陣に追い込むためにも、必勝を決意して奮闘するしかない。

大義なき解散

「大義なき解散」~安倍総理がこの28日(9月)にも衆議院を解散・総選挙を行う意向を示したと与党幹部が相次いで発言、またたくまに「解散突風」が永田町を駆け回っている。まだ正式発表はないものの、今回の突風はやみそうにない気配だ。

しかし、この解散・総選挙の大きな争点は全く見えていない。

今度こそ消費税を8%から10%に上げるために財源の一部を子育てや教育無償化に充てるという方針もあるようだが、逆進性の高い消費税が低所得世帯への支援に回されるというのは本末転倒ではないか。出せるところから徴税するのであれば累進性をもってあてればいいし、内部留保が膨らんでいる大企業からも相応に徴税すればいい。一般・特別それぞれのサイフ(会計・財源)の配分を見直すことは基本中の基本。前回の消費税増税で一般国民の消費マインドが予想以上に落ち込み、結果増税を二度にわたって先延ばしされたはず。景気回復は特定の産業や分野にみられるだけだ。

臨時国会開会の冒頭で解散すると当然、臨時国会で議論されるべき国民的関心の高い課題は一時棚上げ状態に置かれる。「もり・かけ問題」に対する疑問・疑念は払しょくされているとは言えず、多くの国民も関係者からなお明快な説明を求めている。公正性・公平性の観点からすれば、関係当事者である学園理事長や総理夫人の証人喚問も行うべきではないかという声も決して小さくなっていない。

北朝鮮の脅威をあおりにあおりながら、国会における言論の空白期間をつくることも国民からは納得がいかないであろう。危機管理への対応がどうなるのか、臨時国会の論戦において政府の考えを国民に伝えるべきなのにそれも棚上げ。

自衛隊を憲法9条に書き込む改正案を提示するとのことだが、そもそも与党自民党は憲法改正草案を党として明示しているはず。本来ならその改正案の可否を国民に問うべきではないのか。安倍総理はそれを国会で言及されると、総理の立場と総裁の立場を使い分けて言葉を濁してきた。

野党4党は憲法53条の規定に則って6月から臨時国会の早期開会を求めてきたがそれにも応えない。応えないどころか、冒頭解散を行うとすれば、総理所信演説に対する代表質問も予算委員会の開催も、改造内閣の新任大臣の所信も委員会質疑もしないことになる。憲法軽視・国会軽視も極まれりの、まさしく「大義なき解散・総選挙」だ。

なにがあっても絶対負けられない。一層気を引き締めて支持拡大へと奔走する。

果てないギネン

共謀罪への国民の不安や疑念が払しょくされない(できない)ままに中間報告(審議途中打ち切り)を受けて採決された国会会期末直前。

文科省からの調査報告第二弾についての審議も中途半端なまま国会を延長せずに閉会。

さらに出てきた「萩生田官房副長官ご発言メモ」に関する疑念にも「正確性を欠く」「再確認については考えてない」とする文科省。

内閣府は知らぬ存ぜぬ。文科省は事実確認を放棄、調査はちぐはぐで中途半端。

誰の言葉(圧力)を忖度するのか知らないが役所は大臣・副大臣からして身内の仲間をかばうという気概が全くない。

自分らが頑張っても仕方がないだろ、と表情ににじむ答弁書作成の苦労の影。

このままでは終われないだろうにナぁ。

 

沁みこませておくもの

大臣という重責職にありながら、自ら発した言葉の軽さに気が付かず、しかも「上から目線」という評価まで下されてしまい、ついには辞任して責任を取ることになった方がいる。その一連の騒動で、言論の府の運営にもまたもや大きな支障をきたした。

今までにも、言葉以外の自己責任によって大臣や政務三役が辞任に追い込まれた例がいくつもあるのに、「他山の火事」という認識でしかないのか、残念なことにそういう責任を取らされる大臣や政務三役が続いている。

一般的に考えてみても、大臣ともなれば、その一挙手一投足、一言一句に注目が集まるのは必至。大臣の質にかなう見識と人柄かどうか、着ているものや趣味趣向にすら大きく注目が集まる。それなりの特別の地位にいる方だけに、ことの顛末の自己責任の取り方についても非常に厳しく求められるものだということからみても、現実は冷酷ですらある。

だが国民は、顛末による単なる政治家の引き下ろしを求めているのではないだろう。

「責任ある立場にいる方は言動には十分に配慮熟慮しながら誠実に職務を遂行ほしい」そういう叱咤激励の思いをもって、見守っているのではないだろうか。

公明正大。政治家や公務員が襟を正すのはやはり自分自身。

「人の振り見て我が振り直せ」という心がけを常に磨いておくしかない。

公務についているものは、役職の違いに関わらずそれが肝要なのだと、心に沁みこませておかなければならないのである。

ありがとうを使うこと

最近、自分から気にして続けていること。「ありがとう」とお礼をいうこと。

コンビニで買い物しても、食堂や居酒屋で料理飲み物が出てきた時も、心地よいやり取りができたことへのほんの感謝の気持ちで「ありがとう」と言葉にしている。

いつだったか日本食を囲む会合で、いろいろな小鉢や皿の料理が、箸の進み具合の合間よく出されてきた際も「ありがとうございます」と応えていたら、そのうちに料理の名称や素材などの紹介を小声で添えてくれていたことがあった。

それも「ありがとう」効果だったのかは知らないがそういう嬉しいこともあった。

言葉は生きている。

自身の口から出る言葉は、それぞれプラスはプラスに、マイナスはマイナスになって作用するという。プラスの言葉は積極的に使って周りも楽しくさせながら、信頼できるいい人間関係を維持していきたいと思うのは、おそらくみんな共通しているはず。

当然「ありがとう」も、いきいきと使ってこそ相手の心に心地よく伝わっていくのだと思う。

「ありがとう」は感謝の思いがことばになったもの。言われて悪い気はしないはず。

いつでもどこでも、互いに「ありがとう」の気持ちでいられたら幸せも積みあがる。

こんな拙い文章ですが今回も読んでくださって本当に「ありがとう」ございます。

夜にこだまする声

今の時間は4月6日の19:23。明日の外務・環境委員会の質問骨子を作成中。

このあと省庁部局へ質問項目を通告して、彼らが会館の事務居室来るのを迎え撃つ。あ、いや「迎え入れる」か(笑)

夜のとばりが下りた窓の外からは、太鼓(肩ひもでつるすようなドラム)のリズミカルな音が連続して鳴らされながら「共謀罪法・廃案!廃案!」というこれもまたリズミックなコールがあわせて、議員会館の空間を縫うようにこだましている。

ほぼ連日、市民有志の方々が国会裏の議員会館前の路上から、特に政府寄りの与党の議員に対して、国民からの(ほとんど怒りの)叫びをあげているようだ。

反対の理由を静かに語り掛けたり、リズムに乗せて強い叫びをあげたり。

「声なき民の国は滅びる」ことが現実とならないよう、今夜もまた警鐘を鳴らす。

人々がそうやって声をあげるのは、政治が国民の望むような正しい方向へ進んでいかないという不安と不信からであり、黙って座視していたら同じ穴の狢になってしまうのだ、それはゴメンだ、という信念から導かれる行動なのだと思う。

その行動にかられさせてしまうすべては政治の責任だ。

政治の側にいるものの責任に尽きるのだ。

(この間、質問レクで長く中座)

自分も信念に従って行動する。行動するしかない。

最後のこの行を打ち込んでいる今の時間は20:50

この時間でも外から聞こえてくる心の叫び声に、真しにそう答えたい。