爺のひとりごと

去年7月に初孫が生まれて、「孫はなによりもいい」というような、お孫さんがいる方の気持ちが次第に分かるようになってきたこの頃。

ある友人はスカイプでアメリカに住む孫との会話を、ほぼ毎日の日課としているという。「それしか楽しみがないし時間だけはたっぷりあるしね」と笑っていた。

自分と同い年ですでに10人の孫がいる友人は「いっぱいいるから大変」と話していたが、顔の表情からは「大変だけどやっぱりかわいい」としか見えなかった。(笑)

どんな話をしても、結局はどっちも孫自慢。

そして、それができることはつくづく幸せだと深く思う。

望んでも願っても、なかなか叶えられない方もいることを考えるとやはり。

誰のもとにも幸せな生命の誕生と、穏やかに健やかに育まれる環境があることを

ただただ願うばかりである。

その喜びに勝るものはないだろうと、爺はしみじみと思う。

いい笑い

癖のある人はモノマネのネタになりやすいという。

声、表情、仕草など、一見して「その人らしさ」が伝わる形態模写や声帯模写は、芸能としても、その一角を築いてきた。

それは、見ている側の観客も、演じる側の芸人も、お互いに「見て楽しもう」「笑っていただこう」というお互いの理解が前提になるからだろうと思う。

であるからこそ、歌手・芸人から動物まであらゆる個性豊かな存在が、本物からより誇張(デフォルメ)されて演じる側に表現されることで、お互いに求める「笑える」関係になる、ということだ。

さらに言えば「知っている」からこそ笑いにもなる。知らない人や動物を真似されても、知らないものには笑いは起こらない。それも共通する理解あってということ。

「笑う」という気分を「質のいい状態」で丁寧に作ってほしいと思う。

「笑うこと」が、暗に差別や偏見に見られてしまわれないようないいものを。

お互いが「これはいい笑い」だと自然に共感できるものを心から楽しみたい。

 

燃える朝焼け

YESという英国のプログレバンドが1972年に発表した「fragile〜こわれもの」というアルバムに「燃える朝焼け〜heart of the sunrise」なる佳曲が収められている。

このアルバムがYESの中で一番好きで、わけても大作「燃える朝焼け」は別格だと、今でもそう思う。

6日の月曜、街頭活動の最中にこの朝焼けを見ながら、曲の激しいイントロが頭の中で鳴り響いていた。
しかし、その燃えるような太陽が雲の中に隠れ、ほどなくしてポツリポツリと、雨粒がどんよりとした雲から落ちてきた。

朝焼けは雨…なるほどと実感。SUNRISE GOES, RAIN COMES、かな。

image1_3.JPG

即決体質

4年ぶりに愛車をチェンジする。

娘の車の車検が切れるので、玉城が今乗っているのを譲って欲しい(つまり、タダでちょうだい!笑)と促されたことがきっかけ。

娘が欲しがる玉城の車は、おばあちゃんの腰が悪く、外出に出かけるときに乗り降りしやすいようにと車高が低めで電動スライドドアが付いている、TOYOTA社のファミリーカー。

そのおばあちゃんは、脳梗塞の手術後に半身のマヒが出たため老健施設のお世話になっている。

前から度々罹患している腰の圧迫骨折で具合も思わしくないため、スライドドアの車で出かけることもほぼ望めないままだ。

一方、結婚して、そろそろ家族が増えるかなとの期待もある娘は家計を預かる締まり屋主婦。

出来るだけ出費を抑えたいし、5月に車検が来るいまの車は、サビでデコボコが目立つのでそろそろ買い換えたい。
でも出来れば出費は抑えたい。

そんないくつかの家族の現状と思惑が交錯して今回の愛車チェンジに至るという、まあ普通に有りがちの流れから来た買い換えの件。

で、玉城はこの期に、環境に優しいTOYOTAのハイブリッドにした。

もちろん中古。
良質なセカンドハンドを探すのが大好きな自分に合う一台が、なんと試しにちょっと覗いてみた先輩の店先に並んでいた。

10分ほど試し乗りしてみたら良好な状態と快適な乗り心地を確認。

即断即決。性格出た。

値段や状態などの条件があうなら迷わない。仕事も買い物も、その人の性格が見事に出る典型的タイプ。
慎重に石橋叩いて確かめて、大丈夫と思ったら大胆にユンボで渡る。
大胆細心。分かりやすい性格。笑

さ、納車を楽しみに仕事頑張ろう。

それはありかも

東京での生活は、体感温度がその日の時間帯によって違うことをよく感じる気がする。

沖縄では、室内外や昼夜などで大別できそうな感じでも、東京ではもう少し細かい感覚で、季節の具合をはかりとれるような。

他愛もないけど、食やファッションもそういう感覚から生まれてくるような気がした。

image1_2.JPG

サインはそれね

最近、昼に何を食べるか、夜は何にするか、よく考えるようになっている。

一回当たりの食事の量も一般男性に比べてたぶんそう多くなく、肉が食べたい寿司が食べたいとか、何か特に食べたいものを追い求めているのでもない。

ただふと「今日は何にしようかな」と食事のメニューのことが頭に浮かんでくるようなものなんだけど、その日のその時間に食べる食事のメニューを、食べる時間直前までそれほど考えるなんてしなかったから、自分でそれがとても意外に思う。

これ、できれば体からの何かのサインであって欲しくないな。

たぶん、食べることで何かのストレス解消になっているのかもしれないから、いつもと違って「食べること」に神経が寄って行っているのかもしれない。食べる楽しみは人並みに持っているし、腹八分でも十分満足するおいしい食事に出会うのも楽しい。

おお?するとそれはやっぱり体からのサインか?

俺は少し疲れているから「何を食べるか選ぶのは大事」という類いの合図なのか?

もし、もしそうだったら、やっぱり食べるものをちゃんと選んであげなければならないな。体の調子を維持するのは精神的な負担の解消も大事だと聞いたことがあるな。

何を食べるか、考えることにも意味があるのなら、これからもっと食事の時間が楽しくなりそうな気がしてきた。

そうだね。

食べる時ぐらいはゆったりしよう。