相対する論点

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23日に北中城村にある在沖米軍司令部のキャンプバトラーで、在沖米海兵隊司令官の除隊と就任式典が行われた。

国会議員として招待を頂いたので一部の式典のみ参加し、二部の懇親会は参加しなかった。

交替式典は軍のしきたりに従って進められるから、行進や栄誉礼など、当たり前であるが軍隊色が全面に出るように構成されている。

それは彼ら海兵隊の一人ひとりにとってもおそらく相当誇らしい慣例であり、国の名誉と軍隊の厳しい規則を両肩に載せられている、合衆国海兵隊としての個々の存在をも示す晴れやかな場面のようにも一参加者として感じられたのである。

ところが、定期購読している今日の新聞朝刊には『海兵隊グアム移転の2014年達成は困難の見通し』記事はあるものの、譽れな式典のことは全く掲載されていない。

これをどう見るのかは意見が分かれると思うが、相手の立場や考え方を聞いたり見たりする機会、この式典はまさに海兵隊としての存在感を知る意味では貴重な場面だったのではないか、と思う。

相手をよく知ることは、こちらも相手によく知ってもらうことにつながり、そこから始まる議論こそが、互いに対等な理解点をもとにした本質的議論に展開していくものではないのだろうか、と考える。

相手を知り得る機会は多いほうが、相手にもこちらの存在を認めさせる機会が増えるのである。

多面的に相手を理解することによってあらゆる角度からの議論を持ち込むことが可能になる。

『知らなくたって議論には必要ない』という視点は、相手からも最初から『ソノテイドノモノ』としか見られない。

社会の情報をまんべんなく得る努力を忘れず、そのうえで真ん中に立って全周囲を見回していたい。

そのための公共的情報源の全方向的視点提供を、ぜひ新聞記事にも求めたい。

個人的に貴重な体験をさせて頂いたために、一層そのような感想を持った今朝のつぶやきである。

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